現代の日本の農業の課題には、農業従事者の高齢化やそれに伴う後継者不足、耕作放棄地の増加などが挙げられます。もちろん若い世代の参入や農業の大規模化など、課題を解決する手立てとして期待されているものもありますが、農業の新しい「働き方」がどう変化していくのかを予測するのはそう簡単なことではありません。
そんなとき、参考にしたいのが「歴史」です。
「歴史を学ぶ=過去あった出来事を暗記すること」と考える人もいるかもしれませんが、歴史は現在や将来に役立てることができます。得られた知識を現在や将来の課題に活かす、過去の経験を参考に未来を見据えることができます。
そこで本記事では、農業全般の基礎知識として学んでおきたい、日本の農業の歴史についてご紹介していきます。
(より歴史について学びたいという方はぜひ参考文献をご覧ください。)
日本の農業のルーツ
中東、西アフリカ、東南アジアから伝わってきた以下の農耕文化が日本の農耕文化の源だと言われています。
農耕文化 | 場所 | 気候(地帯) | 伝来した野菜 |
地中海農耕文化 | 中東 | 地中海気候
(夏は暑く乾燥。冬は寒くなく、降雨がある。) |
麦類(オオムギ、コムギなど)
根菜類(ビート、タマネギ、ダイコンなど) |
サバンナ農耕文化 | 西アフリカからインド | 乾燥地帯 | 雑穀類(イネ、アワ、ヒエなど)
豆類(ササゲ、アズキなど) 果菜類(ウリやナスなど) |
根栽農耕文化 | 東南アジア | 熱帯雨林地帯 | 芋類(タロイモやヤムイモなど)
栄養繁殖で育てる作物など(サトウキビ、料理用バナナ) |
地中海農耕文化は中東から中国経由で伝わり、麦類や根菜類が、サバンナ農耕文化は西アフリカからインド・中国経由で伝わり、イネやゴマ、コンニャクなどが伝わりました。根栽農耕文化から伝わってきたサトイモはタロイモの仲間です。
その後、インカ・アステカなどの大帝国があった中南米の「新大陸農耕文化」の作物であるジャガイモやトウモロコシ、カボチャ、トマト、トウガラシなどが伝播してきました。
縄文時代〜現代まで
かつて日本の歴史の授業では、弥生時代から農耕文化が始まった、というのが常識でしたが、近年の発掘調査により、縄文時代から原始的な農耕文化が始まっていたことがわかっています。
自給自足的生活
縄文時代には、人々が生活する土地や環境に適した作物や家畜を育てる「適地適産」が基本でした。青森県の三内丸山遺跡の発掘調査では、クリの渋皮やゴボウ、豆類といった植物が出土され、DNA分析により、これらが栽培植物であることがわかっています。足りないタンパク源などは魚やウサギやカモといった肉で補っていました。
争いが起こり始める
弥生時代には水田稲作が定着します。土地を切り開き、農地を耕すといった農耕段階に進みましたが、稲作に適した土地を奪い合うといった争いが起こる時代の始まりでもありました。
農耕により安定した生活が送れるようになったことで、人口は増え、集落は大きくなっていきました。そして、その集団をまとめるリーダーたちが権力を持つようになり、別の集団と争いながら、大きな集団(クニ)を形成するようになります。
公地公民の制度
645年に始められた政治改革「大化の改新」によって「公地公民の制度」が実施されました。これは全ての土地と人民は天皇(公)のものであるとする制度で、農民は一定の農地(口分田)が与えられる代わりに、税を徴収されるようになりました。
荘園制
しかし上記のような天皇を中心とした制度は長くは続きません。平安時代になると、寺社や貴族が公的支配を受けない、またはその支配をできる限り制限した「荘園」と呼ばれる私有地を広げるようになります。田に税を課され、産物を納めなければならず、公的な労役を課せられ、と負担に苦しんでいた農民たちは、口分田を手放して、荘園へと吸収されていきます。
戦乱の世では
室町時代には、治水技術や管理組織が発達、寄合(村の協議機関)や村掟(村人が自治のために定めた法)が強固なものになりました。農民の自治組織「惣(そう)」が発達し、力をつけ、一揆を起こすようになったのもこの頃です。
戦国時代には、戦国大名が自分の領土を拡大し、米の収穫量を上げるため、農業を奨励しつつも「惣」を解体して農民から武力を奪い、一部の農民を家臣にするなどして、村を統治するようになりました。“農民から武力を奪”いましたが、戦国大名の目的は決して「農民に一揆を起こさせない」だけではありません。米の収穫量を上げるために、戦国大名たちは荒地を開発して田んぼの面積を増やしたり、水害から田んぼを守るための工事を行ったり、といった出来事もありました。
江戸時代
江戸時代には他の国に攻め込んで領土を拡大することができなくなったこともあり、大名たちは自分の領地で新田を開発するようになりました。
江戸時代は農具の改良や稲の品種改良といった農業の開発だけでなく、商品作物の生産が増加したことで、年貢に有利な畑作を増やすことで強い生産力をもつ農家が現れたり、商業や交通の発達により貨幣が重要な役割を担うようになって、商人が力をもつようになったりと、農業のあり方が変わっていった時代でもあります。
明治時代から現代まで
明治時代になると税が米からお金に変わります。明治時代には、優れた種を選抜して残していく「純系淘汰」や品種同士をかけ合わせる「交雑」による稲の育種や、化学薬品を使った最初の除草が行われたりしています。
大正時代は第一次世界大戦を背景に農業の機械化が進みます。これまで人力で動かしていた農業機械が電気や石油を用いて動かせるようになり、また直接的な原因ではありませんが、戦争によって人件費が高騰したり、男手が召集されたことなどが「農業の機械化」を押し進めるようになります。
昭和時代には、戦争で食糧不足になったことから1942年に「食糧管理法」が制定され、米などの食糧が国家管理となりました。終戦後、1955年以降は工業の発展により、圃場の整備や水利の改良、栽培技術の開発などが進み、お米の収量水準が向上します。除草剤の使用も一般的となり、農業従事者は長時間に及ぶ除草作業から解放されました。1965年頃からは農業に限らず、さまざまな分野で近代化が進み、農業は機械化等で生産力が向上し、米の生産が拡大していきます。
しかし、除草作業の効率化に貢献した化学農薬の中に、人への毒性が強いものや作物や土壌への残留性が高いものなどがあり、社会問題となったこともありました。もちろん、この経験がきっかけで1971年に「農薬取締法」が改正され、目的規定に「国民の健康の保護」「国民の生活環境の保全」が位置付けられました。
現代は農業人口が減少傾向にあり、それに伴う課題が多々あります。日本の農業の歴史に深く関わりのあるコメも、近年需要率が低下しています。
ですが、需要率の低下によってコメの自給率はほぼ100%であること、栄養バランスの良い日本型の食生活が世界で注目を集めていること、2013年には「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことなどから、農産物の外国への輸出が増大しています。
日本の農業は時代とともに変化し続けてきました。歴史を振り返ると、課題が変化のきっかけとなっていることが分かります。私たちは今、農業のあり方が変わる瞬間にいるのかもしれません。
参考文献
- 日本農業検定 事務局編『新版 日本の農と食を学ぶ 上級編 日本農業検定1級対応』(2020年、一般社団法人農山漁村文化協会)
- 1.農耕の始まり【農と歴史】:関東農政局
- 日本の農業(農耕) – 歴史まとめ.net
- 歴史は繰り返す?“荘園”化する日本の農業 系列化の中で変わっていく農業の「働き方」|JB PRESS
- 室町・戦国・安土桃山・江戸時代|稲作から見た日本の成り立ち|稲作の歴史|クボタの田んぼ
- 日本人の食、農業の歴史|季刊大林
- 明治・大正・昭和・平成令和時代|稲作から見た日本の成り立ち|稲作の歴史|クボタの田んぼ
- 農薬の基礎知識 詳細:農林水産省
- 辞典|学研キッズネット