「窒素固定」とは
空気中の窒素分子を原料とし,窒素化合物を生成すること
出典元:森北出版「化学辞典(第2版)」
を意味します。
窒素固定には
- 工業的窒素固定
- 生物的窒素固定
の2種類あります。
農作物の生育を促進させるために用いられる窒素肥料はハーバー・ボッシュ法、すなわち工業的窒素固定によって作られています。しかしこの方法で窒素肥料を生産するためには、大量の化石燃料を消費することになります。これは地球温暖化の原因である温室効果ガスの大量排出につながります。
一方、生物的窒素固定は、根粒菌や土壌細菌のアゾトバクターやクロストリジウムなどが窒素固定を行います。前田勇『微生物共培養による窒素固定能の発現 微生物共生体における窒素からアンモニアへの変換』(化学と生物 Vol. 55, No. 2, 2017)によると、“自然界において生物学的窒素固定反応により、全世界のアンモニア工業生産量と同等量のアンモニアが生成していると見積もられている。”とあります。ただし、窒素固定ができる生物が限られることなどを考えると、同書では“生物学的窒素固定が農業生産へ大きく寄与しているとは言い難い状況である”ともあります。
窒素固定菌がもつ酵素に着目
そこで注目されているのは、窒素固定ができる生物がもつ窒素固定酵素(以下、ニトロゲナーゼ)を窒素肥料を必要とする農作物自身に取り込ませ、空気中の窒素を自分で窒素肥料に変えて利用する「窒素固定作物」の研究です。
ニトロゲナーゼ導入の難しさ
しかし『Exploiting Biological Nitrogen Fixation: A Route Towards a Sustainable Agriculture』では、穀物に窒素固定能を導入することの難しさについて書かれています。
ニトロゲナーゼは酸素やアンモニアに弱い酵素です。光合成は酸素が発生する場であり、窒素固定では反応生成物としてアンモニアが生じます。そのため、ニトロゲナーゼをうまく機能させるためには、酸素やアンモニアから防御する必要が生じます。
またニトロゲナーゼが複雑な反応を持つことやニトロゲナーゼをつくるためには多くの遺伝子が必要になること、加えて植物細胞でニトロゲナーゼを作動させるためにはどのくらいの遺伝子があればよいのかなどが完全には分かっていないことが、課題となっています。
ニトロゲナーゼ導入のために研究されていること
ただ、窒素固定能をもついくつかの微生物の存在や科学技術の発展に、これらの課題を乗り超えるヒントがありそうです。
生物的窒素固定を行う特定の微生物は、自然界で窒素固定を可能にするための阻害回避機構をもつか、酸素のない条件下(嫌気環境など)で窒素固定を行います。藤田祐一著『作物が窒素固定する時代に向けて 酵素のエベレストに挑戦』で取り扱われている微生物の一種シアノバクテリアは、窒素固定生物の中で唯一、窒素固定と光合成を両立させています。
非共生窒素固定細菌であるアゾトバクター属細菌は酸素のある条件下で窒素固定能があります。前田勇『微生物共培養による窒素固定能の発現 微生物共生体における窒素からアンモニアへの変換』(化学と生物 Vol. 55, No. 2, 2017)には“アゾトバクター属細菌は呼吸保護と呼ばれる、細胞内酸素濃度を低く維持するための酸素消費速度の調節機構を有する”とあります。
また、ニトロゲナーゼが酸素に弱いため、酸素を効率的に取り除くための遺伝子を導入したり、ニトロゲナーゼの量が少ない可能性を考え、ニトロゲナーゼ自体の量を増やすための研究が行われています。
『Exploiting Biological Nitrogen Fixation: A Route Towards a Sustainable Agriculture』では、世界中で行われた科学的努力のおかげで、ニトロゲナーゼ遺伝子の塩基配列が決定され、2012年にデータベースが作成されたこと、非マメ科作物に窒素固定能を導入するための戦略を定義づけられたこと、窒素固定に必要な遺伝子カセットを特定してすでに遺伝子組み換え酵母で実験が行われていることなどを挙げ、これらの成果は植物にニトロゲナーゼを導入する目標に近づくものであると記しています。
窒素固定作物が実現化するのはもう少し先の話になるかもしれません。しかし、作物自身が窒素固定を行い、肥料を必要としない日が来れば、窒素肥料を化学的に製造する量が減り、それは自然環境の保護、持続可能な農業の実現につながるでしょう。今後の研究に期待が高まります。
参考文献