農山漁村文化協会編『現代農業 2022年05月号』(農文協、2022年) で、異常気象による生育不良を改善するための手段として「低温発芽」が紹介されていました。丈夫な根張りにするために、発芽適温より低い温度で発芽を促します。
発芽適温で管理する従来のやり方であれば発芽まで3日、6〜7日で鉢上げ、1ヶ月ほどで定植できますが、低温発芽の場合、2〜3ヶ月ほどかかります。『現代農業』で紹介されていた事例では、メロンの育苗を外気温がマイナスになることもある1月中旬から始め、定植するのは3月下旬。ですが、この方法に変えたことで、横に張っていた根がタテ根になり、異常気象でもバテないメロン苗ができるようになったとあります。
なぜ低温条件下で発芽、育苗、栽培することで、異常気象に強い作物になるのでしょうか。
低温処理で何が起きているのか
結論からいうと、低温発芽、育苗によって作物が異常気象に強くなることへの裏付けを見つけることはできませんでした。
しかし2004年6月15日に発行された「近畿中国四国農業研究成果情報」に記載されている「低温催芽育苗処理による定植時のシュンギク苗の耐暑性の向上」によると、低温催芽育苗または種子への低温処理により、シュンギク幼植物の耐暑性が高まるとあります。
上記文献では、なぜシュンギクに低温処理を行うと耐暑性が高まるのか、といった仕組みに関する記述はありませんでした。
しかし藤野賢治『イネの高緯度地域への適応形質に関する遺伝・育種学的研究』(育種学研究 11:185-189、2009年)では、イネの発芽時における低温ストレス耐性として、低温発芽性に着目し、関連する低温発芽性遺伝子の同定※と単離が行われています。
※同定
1 同一であると見きわめること。
2 生物の分類上の所属や種名を決定すること。
3 単離した化学物質が何であるかを決定すること。出典元:小学館 デジタル大辞泉
この研究では、同定された低温発芽性遺伝子(qLTG3-1)は作用力が大きく、イネの低温発芽性の改良において有用な遺伝子と考えられる結果となりました。またqLTG3-1と相同の遺伝子がトウモロコシ、コムギ、オオムギ、ダイズに存在していたこともわかっており、これらの作物での遺伝子機能の解明とその利用によって、これらの作物の安定的な生産にもつながることが期待されています。
その後の植物の低温ストレスに関する研究を探してみたところ、2017年には、筑波大学と東京学芸大学の研究グループが、MCAタンパク質と呼ばれる物質が植物が低温ストレスに順化するための仕組みに関与していることを明らかにしています。
植物は低温ストレスにさらされると、細胞内のカルシウム濃度が一過的に上昇することが知られています。上記研究グループは、植物におけるカルシウムチャネルMCAに着目。カルシウムチャネルとは、植物の細胞膜にある、細胞内にカルシウムイオンを選択的に透過させるタンパク質のことです。
低温ストレスを受けたとき、低温ストレスに弱くなるよう処理を行ったMCA変異体(細胞内カルシウム濃度上昇の不十分なカルシウムチャネルMCA)では、低温ストレスに弱くなっていることが分かり、MCAが低温ストレスに関与していることが明らかになりました。
また東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部の研究成果「植物の低温ストレス耐性獲得におけるシグナル経路の通説を覆す発見」の序文によると、“植物は環境ストレスを受けると、様々な遺伝子の発現を誘導することにより耐性を獲得”するとのこと。中でもDREB1遺伝子と呼ばれるものは、低温ストレスへの耐性獲得機構において中心的な役割を担います。
植物は、季節の変動や異常気象などによって低温ストレスに晒されると、DREB1遺伝子の発現を強く誘導することで、耐性獲得に働く多数の遺伝子群を強く働かせ低温耐性を獲得します。このため、DREB1遺伝子の発現を制御できれば、植物の低温に対する耐性を向上させることができると考えられます。
このような機構が、冒頭で紹介した『現代農業』の低温発芽、育苗で働いているのかもしれません。
知っておきたい発芽適温&育苗温度のめやす
とはいえ、低温で発芽させたり育苗したりすることが必ずしも作物の生育に良い影響を与えるとは限りません。生育初期に低温(または高温)の環境にさらされることで生育が悪化する作物もあるので注意が必要です。
最後に、主な野菜の発芽適温、育苗温度のめやすをご紹介します。
先で紹介したメロン苗の事例では最低温度を13℃に設定し、管理していたので、かなり低い温度で発芽させていることが分かります。
作物名 | 発芽適温(℃) |
育苗目標温度(℃) |
|||
高温限界 |
日中 | 夜間 | |||
主な果菜類 |
トマト | 25〜30 | 35 | 20〜25 | 5〜8 |
ナス | 25〜35 | 30〜40 | 23〜28 | 10〜15 | |
ピーマン | 28〜30 | 32〜35 | 25〜30 | 12〜15 | |
キュウリ | 25〜30 | 35 | 18〜25 | 8〜12 | |
スイカ | 25〜30 | 35 | 13〜20 | 10〜13 | |
温室メロン | 28〜30 | 35 | 18〜23 | 10〜18 | |
エダマメ | 30〜35 | 35〜42 | 15〜25 | 15〜25 | |
主な葉葉菜類 |
レタス | 18〜20 | 25 | 12〜23 | 5 |
ハクサイ | 18〜22 | 23〜25 | 18〜21 | 13〜15 | |
キャベツ | 15〜30 | 25 | 15〜20 | 10 | |
ブロッコリー | 25前後 | 25 | 18〜22 | 12〜13
(10〜12) |
|
チンゲンサイ | 20〜25 | 25〜30 | 15〜20 | 13〜15 |
参考元:主な果菜類の発芽適温と育苗温度(生育適温)のめやす – 長野県、主な葉洋菜類の発芽適温と育苗温度のめやす – 長野県
参考文献
- 農山漁村文化協会編『現代農業 2022年05月号』(農文協、2022年)
- 低温催芽育苗処理による定植時のシュンギク苗の耐暑性の向上
- ポジショナルクローニングによるイネの低温発芽性に関わる遺伝子の単離
- イネの高緯度地域への適応形質に関する遺伝・育種学的研究
- 農業生物資源研究所 – お知らせ – イネ低温発芽性遺伝子qLTG3-1の発見
- 植物の低温ストレス応答に関与する新たな仕組みを解明
- 植物の低温ストレス耐性獲得におけるシグナル経路の通説を覆す発見
- 主な果菜類の発芽適温と育苗温度(生育適温)のめやす – 長野県
- 主な葉洋菜類の発芽適温と育苗温度のめやす – 長野県
- 低温・日照不足に対する農作物の技術対策について – 埼玉県