今年の夏も信濃追分の山荘で過ごした。いつものように行きつけのダイニングバーで一杯やっている時に、追分に移住してきたSさんと言う人と話す機会があった。Sさんは東京に住んでいたが、子どもをゆったりと自然の中で育てたいと思い、20年くらい前に思い切って移住を決めたらしい。追分に移り住んで、ふとしたことから有機農業に興味を持ち、自分で有機農業、コメ作りをしたいと思い始めた。しかし、コメを作りたいと言っても、Sさんは農家ではないので田んぼがある訳ではない。幸いな事に、旧中山道(追分宿)にあるAさんというおじいさんと知り合いになり、Aさんの好意で、一反歩ほどの田んぼを借りることができた。Aさんは、昔から何頭かの馬や牛、羊を飼い、田んぼを耕したり乳を売って家畜を暮らしに活かして生活してきた。
<そのバーの席で、私はSさんの都合が付くときに田んぼをみせて欲しいと頼んでおいた>
8月16日の10時にSさんと追分油屋の中庭で待ち合せ案内してもらうことになった。
まず、Sさんの案内で諏訪神社を通り抜けた。すると、目の前に小さなポニーが表れた。
「ここに、昔はAさんの馬や羊がいました。Aさんが数年前に亡くなり、今は私がこの遺されたポニーの世話をしています」
と語ってくれた。
「飼料はどうしているのですか」
と尋ねると、
「夏は草を刈って飼料にし、冬は田んぼの藁や米糠をエサに活かしています」
との事だった。
その後、軽トラに乗せてもらい、国道18号を渡り、しなの鉄道との間の追分地区の水田地帯に案内してくれた。水田地帯と言っても2から3haくらいの小さな地域だ。
「ここが、私が作っている水田です。農薬は一切使っていません」
「堆肥だけですか」
「そうです。堆肥も、この後、案内する羊の排泄物と稲わらで作っています」
「田植えは?」
と聞くと、
「田植え・収穫などの作業は軽井沢風越学園の子どもたちや保護者が手伝ってくれています。子どもたちは田んぼで多様な生き物と出会い、稲を育てる仕事も楽しんでいます」
とSさんは答えてくれた。
「品種は何ですか」と聞くと、
「あきたこまちですが、この畔の近くの稲は、6年生の子どもがぜひ植えたいと自分で選んだ『月あかり』です」
と教えてくれた。
羊を見るために畔道を歩いていると周りの水田は耕作放棄されたらしく雑草が生えている。
「耕作放棄地が多いですね」
と僕が言うと、
「そうなんです。地元の農家さんが年を取ってしまい後継者がいないので、今、稲が植わっている隣の田んぼも、近いうちに放棄地になるかもしれません。軽井沢全体でも耕作放棄地が増えており、このままでは、農地が減ってこの美しい景観は無くなり、鹿や猪が増えて獣害が酷くなってしまうかもしれません。農業も存続の危機です」
とSさんは心配そうに言った。
畦道に沿って小さな小屋があり羊が6頭いた。
「これが、さっきお話ししてくれた羊ですね」
「そうです。この羊の排出物と稲わらを混ぜて堆肥を作り水田に撒いています」
「この堆肥つくりも子どもたちが手伝ってくれます。それと羊の毛を刈って洗って紡ぎ、毛糸やフェルトにしています。
「なるほど、まさに、循環農業ですね」
と、僕は感心した。
「そうです。循環農業も1つの試みですが、耕作放棄地は軽井沢だけでなく全国に拡大しています。それを考えると日本の農業、食料はどうなっていくのでしょうか」
と、Sさんは心配そうに言った。
『農の風景』の取材で全国の農村を回っている僕もSさんと全く同じ心配を抱えている。おまけに、最近の夏の異常気象で関東あたりの露地野菜農家は夏の生産が壊滅的打撃をこうむっている。しかも、夏の異常高温に耐えうる野菜品目はほとんどないとの事だ。
Sさんと別れて油屋カフェでコーヒーを飲んだ。うつらうつらしたら一つの夢を見た。その夢は、関東の野菜農家が、夏の間の3カ月間、軽井沢や御代田の耕作放棄地と空き家を借りて野菜を生産している姿だった。冬の間に農業ができずに出稼ぎにでる北の農家ではなく、夏の間に異常高温で農業が出来ない南の農家が標高の高い涼しい土地で農業をやる移動農家の夢だった。
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)