ある離農農家の呟き

ある離農農家の呟き

何十年かぶりに北海道北竜町に住む友人のNを訪ねた。富良野で仕事があったので、富良野からバスで芦別駅に行き、芦別駅に迎えにきてくれた友人の車に乗り北竜町に移動した。Nが住んでいた北竜町あたりは、当時、大学に進学するものはほとんどいなかった時代だった。Nは上京し大学に入り卒業後、農業関連の大手出版会社に勤めたが、サラリーマン生活が合わず、1年後に住まれ故郷の北竜町竜西に戻った。

農業を継いだNは規模拡大を目指したが、当時は米価が高く農地を手放す農家はおらず規模拡大を実現できなかった。そこで、コメに加えメロンなどを生産したが規模が小さかったので農業だけで生活できず、冬は東京に出稼ぎに行っていたという。今から40年以上前に訪れた時に、Nは竜西と言う地区に住んでいたが、現在は、北竜町の町の中に住んでいる。

今回はその家に泊めてもらい、「松尾ジンギスカン」を囲み、酒を飲みながら、何十年分もたまった昔話をしたのだった。その時に、昔、私が泊まった家は、まだ、竜西にあると言うので、翌日、竜西地区を案内してもらうことになった。

翌朝、Nの車で街の中央部から車で北に20分くらいの所にある竜西地区に行った。
「稲田、この谷沿いは、俺が生まれたころは両側に家がありそれなりの集落だった。この地区の農家は雪が多かったので森の向こうの雪が少ない水田と交換分合をした。お前が泊まった家はこの森の向こう側の集落にある」
と懐かしそうに語った。
確かに、森の奥にかろうじて見える暑寒別岳の向こうは増毛町なので雪が深そうだった。車をUターンさせ、Nは昔住んでいた集落に向かった。

 

Nの昔の家

 

Nは、「稲田、あの家が、昔、お前が来て泊まった家だ。親父は俺が大学に進学した時に、田舎に帰ってくる必要はないと考えていたから、少しずつ農地を手放していった。俺が就農した時は、農地の半分を手放していたから、俺は小規模農家から始めた。農協から1500万ほど借金し農機具を購入し農業を始めた。当時は金利が高かったので、返済時の利子を含めた借金は総額3000万を超えていたから、それはバカみたいだと俺は考え、早めに借金を返済しようと決めた。ところが、面積が小さかったから、農業収入だけでは、計画した繰り上返済の金額は返せない。そこで、俺は、女房と一緒に飯能の飯場に出稼ぎにでて、7年間で借金を返済した。暫くは、出稼ぎをしながら農業を続けたが、ある年、農業を手伝っていた父親が怪我をしたのを契機に農業をやめ、知り合いの奨めで北竜町商工会に勤めたのだ」と語った。

Nを車の中に残し、私はしばらくの間ジッと昔の家を見つめた。天気は快晴でユッスラと心地よい風が吹いていた。目を閉じて、その心地良い風を感じながら、Nの人生を思っていた。

Nは何を考えて生きてきたのだろうかと考えた。しばらくすると鳥の音が聞こえたので目を開けた。何羽かの鳥が上空を滑降していた。その時に、フト、Nは、なにも考えていなかったに違いないと思った。ただ、家族を養うために、生活をするために、コメを作りメロンを作り、出稼ぎに行き、疲れたら休むという生活を繰り返してきたのだ。そこには、誰かと比べるという人のいやらしさも、見栄もなく、ただ、生まれ故郷で家族と暮らし子供を育てるという、人としての原点の行き方を貫いてきたのだろう。
そう考えると、Nはなんと立派に生きてきたのだろうか、と思った。

「稲田、そろそろ行くぞ」と、Nの声がした。

 

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

 

農の風景カテゴリの最新記事