食料供給困難事態対策法案(仮称)
先日、事務所でNHKの国会中継を聞いていたら、野党議員が食料供給困難事態対策法案(仮称)について質問していた。この法案は、「異常気象や海外での紛争などで食料が不足した場合に、政府は、農家に対し生産出荷計画の作成を指示できるとし、計画を届け出ない農家や従わない農家には20万円以下の罰金を科すことができる」という内容だ。この法案の基本的な考え方は、増産に当たっては、他の品目を減少させないことを原則とし、表作の不作付地の解消、裏作可能地での裏作の拡大により増産を実施することにある。
それぞれの「農の風景」
僕はこのラジオを聞いた時にある種の違和感を持った。というのは、この国会中継を聞いた1週間前に、たまたま、このコラムで紹介した農家さん達と東京で座談会をやった。この座談会は、一杯やりながら「農業について本音で語ろう」と企画したものだ。参加者の1人は田原市のスプレーキク農家、2人は新城市の新規脱サラ就農トマト農家、もう1人は、小山の施設イチゴ+コメ&ビール麦の農家だった。いずれの農家も就農してから長いことそれぞれの作物を栽培している。
彼等との話の中から、それぞれの農家は、それぞれの人生を経験し、その経験から、一人前の農家として、「なぜ、農業をやっているのか」と言う、いわば、人生の哲学らしきものに、ようやく、たどり着いたようだった。そこには、各人、それぞれの「農の風景」があった。
都会ボケの人たちと現場で暮らす人たち
ところが、今回の国の食料供給困難事態対策法案は、「生産性を高め、国民への安定供給を図るため、可能な範囲内で品種、作期、栽培方法等の変更を実施し、水稲については、水田の表作不作付地を中心に増産すること、もしそれに従わなければ、罰金をとる」とのことだ。
<僕は、農水省の役人も国会議員も、「平和ボケならず都会ボケ」そのものだと思った>
この座談会の翌日、九州時代の同級生との定例のオンラインの集まりがあった。その中で、佐賀の神崎町に住む友人が、
「稲田、ここ5年くらいで、田舎の集落も耕作放棄地が広がり、農家の連中がコロナのせいか、農家の仲間意識、いや、今までの集落共同体意識といった精神がなくなってきたみたいだ。自分も年をとったから、こんな意識を持ったのかもしれない。この地域は、純農村だけど、昔から表作のコメと裏作の麦と大豆で、九州有数の産地だったんだよ。その農村が、明らかに、ここ5年で大きく変わってしまい、あと5年もたてば、さらに、衰退し、昔の農村の風景が無くなってしまう。今、冷静になり考えてみると、これからの農業・農村はどうなってしまうのだろうか?」
と不安気に語っていたことを思い出した。
耕作放棄地予備軍
そのオンラインの集まりの後、富士山を見たくなり静岡の農村に行ったのだが、注意して水田や畑をみると、静岡でも、作付されていない水田や畑が目につき、そこには冬枯れの雑草が生えていた。
農家が作物生産をやめ、耕地に手を入れなければ写真1のような耕作放棄地になってしまう。さらに、これらの耕作放棄地をコメが取れるようにするためには、まず、写真2のように田んぼに重機をいれて耕起することから始めなければならない。この状態に田んぼを戻すまでには大変な労力がかかるのだ。しかし、農村には若い人がいない。これが農村の現状なのだ。
しかし、現実の政策は、「水稲は水田の表作不作付地を中心に増産、小麦は作期の競合を避けるため表作作物の品種等の変更を行い、裏作可能地で増産、大豆は水田の表作を中心に増産、おまけに、これに従わないと20万円の罰金」なのだ。
これが、都会ボケしている官僚や政治家の考えなのだ。おそらく、農業を肌感覚では知らない彼等の都会的感覚では、企業的な事業者が現れ、自動運転の農業機械やドローンや衛星画像を活用するスマート大規模農業が出現し、この都会ボケした「食料供給困難事態対策法」が、我が国の国民の食料不足を救うのだと固く信じているのだ。
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)