田原市の高橋講治さんを訪ねて

田原市の高橋講治さんを訪ねて

江戸時代から続く農家

豊橋駅から豊橋鉄道渥美線に乗り新田原へ、そこから豊鉄バス伊良湖本線に乗替え、福江町にあるキク農家高橋講治さんを訪ねた。
高橋家は江戸時代から続く農家だそうで、昔は半農・半漁の生活をしていたらしい。高橋さんの祖父の代は養蚕をやっており、父の代は、蚕、いも(でんぷん)など畑作が主体だった。
高橋さんは、昭和27年生まれで、昭和46年3月に愛知県立渥美農業高校を卒業し、長男という事もあり18歳の時に就農した。就農したのは高校生の時のアルバイト体験が理由の1つだったと語ってくれた。そのアルバイトでは、アルバイト先のオーナーの息子と一緒だったが、オーナーの息子と自分では待遇が異なっていたのだった。その時の経験から、人に使われる仕事は自分には向かないと気がついたのが出発点だったかもしれないと話してくれた。就農当時の高橋さんは、真剣には、農業に向きあっていなかったという。就農当時は絹さやえんどうの播種やキャベツの定植が終わった秋口から年内はそんなに忙しくはなかったので、土建業者や鉄工所で6年間ほどアルバイトをしていたそうだ。
 

経営概況

高橋さんが農業に真摯に向き合うようになったのは昭和56年頃からだったという。その頃、子供も授かり、昭和59年に近代化資金を借りて、350坪のビニール屋根型ハウスを建て、従来からあったかまぼこ型ハウスで、えんどう、抑制トマト、後にニラ栽培、路地ではキャベツ、露地系メロンを生産していたのだが、母親が病に倒れたのを契機に、現況の経営ではダメだと考え、友人の勧めもありスプレーギク造りへと転換した。当時のビーニルハウスでは、ハウスの内側にあるシェード掛けを手作業で行っていたので効率が悪かったが、運良く、県の普及センターが経営分析をしてくれた。普及センターの人が作業日誌を見直した結果、坪単価は高いのに、労働時間が多く労働生産性が低いことが分かった。
平成2年には台風に襲われ、ビニールハウスがかなりの被害を受けた。高橋さんは、労働生産性の高いスプレーギク専業農家を目指すために、まず、1500坪の自動化施設の建設を決意し、かねてから申請のあった無利子の制度資金の許可を得て、平成2年にガラス温室475坪、近代化資金で平成4年に240坪、平成6年に240坪、平成8年に240坪のガラス温室を建てた。当時の建築費は坪7.3万円から7.7万円だった。当時は、年間700万くらいの借金返済の年も何年かあったので、「この頃の5年間が自分の人生のなかで一番頑張った時期だと思う」と、懐かしそうに話してくれた。
その後、平成10年に650坪の鉄骨作業場、平成12年に620坪のガラス温室、平成17年にエフィリン屋根型ハウス250坪を建設し規模拡大を進めていく。平成18年には父親が担当していた水田にJAのリース事業でガラス温室700坪を約4割5分の補助で建てた。高橋さんの規模拡大は、当時、この地域ではスプレーギク切花経営では、「施設4000坪、坪当たり売上2.5万円、総売上1億円」が目標だったことが影響していたとのことだった。
しかし、資材価格の高騰、キク相場の変動で、現在の経営規模は約3100坪である。今、新たに同じようなガラス温室を立てるとするならば、坪10万円以上はかかるので、新規に温室を立てても採算ベースには乗らないだろう、また、新規参入にはハードルが高いものがあるとの事だった。
高橋さんの案内でガラス温室を見学した時に外国人らしい女性が働いていたので、「技能実習生ですか?」と質問したら、「そうです、現在、通年でカンボジア人2名と中国人1名の技能実習生を使っています」と教えてくれた。労働力は、この3名の技能実習生と本人、および、息子夫婦、それと、昔からパートとして雇っている地元の主婦でやっているとの事だった。

栽培の特徴と販売方法

高橋さんのキク栽培の特徴の1つは定植作業を省略した「直挿し」にある。収穫後、土壌消毒をして堆肥をいれ「直挿し」、年間で3.3作から3.4作栽培している。株間は、試行錯誤の結果、現在は11cmにしているとのことだ。また、高橋さんが所属するJA愛知みなみのスプレーマス部会のルールで、出荷量のバランスを保つために、1施設内の花色は「白」、「ピンク」、「黄色」、+αの4色以上植えると決められている。
経営のポイントは、光熱費、肥料代、農薬代だ。高橋さんのガラス温室では、240坪の施設で、冬期1作に約5000ℓの重油を使用し、ヒートポンプを全体の7割の施設で導入しており、年間約1000万円の光熱費が掛かるとの事だ。最近の光熱費、肥料代、農薬代の高騰が続くと経営をかなり圧迫すると話してくれた。
 

販売は、全量、JA愛知みなみに出荷している。2020年以降はコロナ禍の中で、輸入切り花がストップしたこともあり、高値で推移しているが、今後、輸入スプレーが回復した場合の価格については不安があるとの事だった。販売戦略は、1本当たりの単価が高い2L 80本入りの規格品と2L 100本入りの規格品割合を伸ばすことで、2つの規格品で全体出荷量の75%から80%が目標となっている。
栽培技術については、以前は、産地として他産地に技術を見せないような風潮があったが最近は変わってきているようだ。高橋さんは、昭和63年以降、多くの研修生を受け入れており、彼等との生活の中で、自分の持っているものを全てオープンに提供してきた。研修生にとっては、この技術交換が最大のメリットだとの事だった。また、ナノバブルは2年前から導入したが、伸びが良いように感じるので今後も使い続ける予定だそうだ。

農業そして後継者について

「農業、高橋さんの場合はスプレーギクですが、なぜ、スプレーギクをやっているのですか?」と聞いたところ、「どんな農業者も同じだと思いますが、自分の場合も、スプレーギクの日々移り変わる成長を見られるのが最大の魅力」また、「ナノバブルの導入も含め栽培技術等へのトライが、全て、自己責任だから面白い」と答えてくれました。また、「経営者である以上、収入を上げるのが最大の目標だが、自分の作ったものに価格をつける事ができない産業である以上、まず1年に2作か3作しか出来ない満足いく作柄の圃場をいかに増やすかを、満足感と反省と共に、日々、1年生だというメンタルを維持し続けるチャレンジ精神が1番大切な仕事だと考えている」と答えてくれました。

高橋さんには41歳の後継者がいてキク作りを承継しているが、この地域では、後継者がかなりいるだけでなく、若い人が新規就農も含め就農している。新規就農者は、キャベツやハウス経営が主であるが、後継者を確保するためには、一般サラリーマンの年収より2割以上高い収入がないと夢の持てる産業にはならないのではないかと語ってくれた。
 

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)

 

千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

 

農の風景カテゴリの最新記事