伊豆の国の尾崎さんを訪ねて

伊豆の国の尾崎さんを訪ねて

8月下旬、新幹線を三島駅で降り伊豆箱根鉄道に乗り換え韮山駅に向かった。三島駅の伊豆箱根鉄道のホームで本日訪れる尾崎さんに電話したところ韮山駅まで迎えに来てくれるとのことだった。駅に着き尾崎さんの車にのりしばらく行くと家に着いた。

49歳からの農業出発

尾崎さんは昔からのイチゴ専業農家だと思っていた。ところが、挨拶を終え取材を始めた途端に、筆者は驚いた。尾崎さんは新規就農者だったのだ。さらに話を聞いていくと、尾崎さんは、現在、58歳で9年前に就農したとの事だった。就農する前は、自動車関連(板金プレス)企業に勤め、生産管理と品質管理に従事していたと言う。
「なぜ、10年前に農業を始められたのですか?」との筆者の問いに、尾崎さんは、「49歳の時に、このまま勤めていても、後10年で定年になる。定年後、何をしようかなと考えていた時に、たまたま、就農したイチゴ農家の発表を聞く機会があり、その時に、定年後の仕事として農業は良いなと思いましたが、自分は農家ではなく土地がないと諦めていました」と答えてくれた。

世の中には何かのご縁があるようで、昔からやっていたサッカーの友人にJAの職員がいた。その職員は「尾崎さん、静岡県の『ニューファーマ制度』があるから市役所に聞いてみたらどうか?」と言ってくれたのです。早速、役場に問い合わせたが、役場からの返事は、「尾崎さんは年齢が高いので、この制度の対象外で応募できない」との事だった。
諦めきれない尾崎さんは、近所のイチゴ農家に堀井さんを紹介してもらい、「イチゴを作りたいので研修を御願いしたい」と直訴したそうです。当初、前向きではなかった堀井さんも、尾崎さんの情熱に負けて、「お前、本気なんだな!」と言って、1年間の研修を引き受けてくれたのです。

結果として、尾崎さんは、『ニューファーマ―制度』の研修生になった。しかし、年齢オーバーの為、就農時に提供される様々な補助金などのサポートは得られなかった。

しかし、『ニューファーマ―制度』によりJAの融資をつけてもらう話がまとまり、また、妻の実家が兼業農家だったので、妻の実家の農地10aと隣の農地20aを借りることができた。JAからの融資を得ることができ、30aの借地に900坪のビニールハウスを建てる計画が出来た。

 

新規就農の流れ

12月31日に堀井さんでの1年間の研修が終了した翌日の1月1日から、尾崎さんは900坪のビニールハウスを建てるために動き出した。経費を抑えるために、ハウスの周りの給液と排水溝は自分で作業し掘った。その作業箇所の現場写真をとり保存した、後に水漏れがあった時にこの写真が役にたったという。当初は、技術が拙く、パイプのつなぎ箇所が緩く、そこから水が漏れだしたと言う。しかし、900坪のハウスが完成する頃には、排水溝も完璧に作れるようになっていた。

9月15日にJAからイチゴの苗を購入し定植、しかし、炭疽病がでて、その苗を抜き、新たな苗を定植、1年目はこの繰り返しだったが、どうにか、自己目標の最低収穫量を確保することができた。2年目からは、ウィルスフリ―苗の親株を購入し子株を育てるところから始めた。尾崎さんは太郎、次郎、三郎の苗までしか使わない。
3年目からは、ハウス内に小さなハウスをかけ、その中で8月15日から夜冷することにした。こうすることによりハウス内全体を夜冷するよりも燃料代が安くなり、イチゴ価格が上がる12月からの出荷が可能になるからだ。9月15日から定植、11月8日から翌年6月1週目まで収穫するのだ。

 

生産管理表と在庫管理表

労働力は、尾崎さん本人・妻・長男(バイト)・長女(バイト)、パート5人(35歳から45歳の近所の女性)でやっている。パートさんが主に収穫などの栽培関連の仕事を担当している。取材に訪れた時も、長女がプランターの洗浄をやっていたのが印象に残った。
ハウスの隣にある作業部屋に案内してもらった時に、壁一面に、年間作業スケジュール表が張ってあるのに驚いた。この表をみると、たとえば、夜冷と平地ごとに、6月12日から葉切り開始、6月14日暖房機ダクト撤去などの作業が一目で分かる仕組みだ。実際、パートさんはこの作業スケジュールを見て作業を確認しているとの事だった。
筆者が「この年間スケジュール表は良いですね」と言うと、尾崎さんは、「自動車関連企業で生産管理をやっていたので、その経験を利用したのです」と答えてくれた。また、肥料・農薬も使用した日や量、どのハウスに使用したかなどの記録を取ってあり、「この在庫管理も前職の応用ですか?」と聞くと、尾崎さんは大きく頷いた。これらの生産管理表と在庫管理表がコスト削減に繋がっていると筆者は思った。

 

栽培の特徴

尾崎さんは仲間の技術を参考にしていると言う。尾崎さんが組合員であるJAふじ伊豆では、160人のイチゴ農家のランキングを発表していて、その中の上位5人のうち4人は、『ニューファーマ制度』の研修生で、師匠は堀井さん、その研修生の技術を見様見真似でトライしているのだ。もちろん、尾崎さんもイチゴの定植間の距離(ピッチ)について研究している。1年目20センチピッチで始めてから25センチピッチにし、今後は、ピッチ幅を23センチにする予定だとのことだ。20センチ幅だと、定植本数は約2万本、25センチ幅だと定植本数は1.6万本となる。当然、定植本数が増えれば、全体として収量は増えるが、現実は、そんなに単純ではないらしい。葉が密になれば日光の関係で光合成が抑えられ、1株あたりの収量に影響があるらしい。光合成と収量を考え、最適なピッチ幅を探しているとの事であった。
尾崎さんの師匠である堀井さんはチャレンジ精神の固まりであり、また、堀井さんの30人ほどの弟子のネットワークがあり、こちらから積極的に質問すれば、技術的に教えてくれるので、細かい技術は毎年向上できると話してくれた。

 

農業への考え方

「農業への考え方について聞かせて欲しい」との筆者の問いに、「農業の基本は『もの作り』で、前職の板金プレスも『もの作り』なので違和感はなかった。自分は、もともと、『もの作り』が好きなのでイチゴ造りにもすんなりと入れた。イチゴは手をかければかけるほど良いもができ、良いものを造れば高く売れるので楽しい」と答えてくれた。

肥料などが置いてある倉庫に大事そうにシートをかけたバイクがあったので、「これでツーリングするのですか」と聞いたところ、「2年前に少し儲かったので、自分にご褒美の意味で、400CCのバイクを購入した、これで、近くを走るのだ」と笑いながら語ってくれた。

ナノバブルについて聞いたところ、「3、4年前に5、6人の仲間がレンタルで始めた。ナノバブルの良い所は、ナカナカ目には見えないが、根の張りが強いしっかりした苗が育つみたいだ。その結果、肥料の吸収が高いとの感触があるので、今後も使っていくつもりだ」と答えてくれた。

 

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

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