円安と畜産農家の悲哀

円安と畜産農家の悲哀

何年か前に千葉に住む友人のMから連絡があり養鶏業から撤退するとの連絡が来た。Mの家は親の代から神奈川県で養鶏業を生業にしていたが、都市化の影響をうけて、養鶏業の農地を売却し千葉県に代替地を得て移っていた。

15年くらい前に、Mは思い切って鶏卵経営に肉用牛肥育を加えた複合経営に転換し、大規模畜産経営を始めた。

 

<2011年79.8→2012年79.8→2013年97.6→2014年105.9→2015年121.0>

―この数字は何を意味しているのだろうか?―

―実は、この数字がMの肉用牛肥育経営にとっては死活問題になったのだー

この数字は為替レートを示している。つまり、2011年1ドル79.8円だった為替レートはその後急落し、2015年には1ドル121.0円と34%も円安になったのだ。

 

<これが何を意味するかは簡単な算数でわかる>

日本の畜産農家は、主として外国からの飼料、たとえば、とうもろこしや大豆、麦やふすまに依存していて、これらの飼料、つまり、エサは外国から買っているのだ。

外国との貿易の基軸通貨はドルだから、日本の畜産農家、厳密にいえば、全農がドルで外国の、例えば、アメリカのトウモロコシや麦を100万ドルで購入する契約を結んだとすると、2011年では1ドル79.8円だったから、日本円で7980万円払えばよい、ところが円安に振れた2015年には1ドル121.0円になり、同じ100万ドルで契約した資料に、1億2100万円払うことになる。

―単純に言えば、飼料代が34%あがったことになるのだー

ちょうどその頃だったと思う。秋田の友人のSと川反で飲んだ時だった。Sは農協に勤めるかたわら、肉用牛を5頭ほど飼っている。言ってみれば、千葉のMとは、経営形態で言えば真逆の肉用牛肥育農家でもある。

その時、

「日本の畜産農家は、基本的にやってられないと思うよ?S、良く考えてみろよ。企業はコストダウンが大きな経営の目標だよな。だから企業は様々な知恵を絞ってコストダウンを考えるのだ。ところが、日本の畜産農家はそうはいかない。経営者がコストダウンに努めたところで、コストの30%から50%を占める飼料代、つまり、エサ代は輸入に頼っているから、たとえ、畜産農家が頑張ってエサ代以外のところで、たとえば、5年間かけて20%のコストダウンを実現できたとしても、そのコストダウンの5年間に、為替が20%、円安に振れたら、エサ代は20%あがるんだよ。こんな経営ってアリか?自分の経営の外で、自分の能力の外で、それも個人の力では対応できないところで、コスト上がってしまうなんて、企業経営って・・・言えないんじゃない?」

と僕は酒を飲みながら語った。

「そうですよ、稲田さん。秋田でも今回の円安で牛飼い廃業した農家が結構いるよ」

「そうだろ。何かおかしいよな?」

「そうですねエ・・・」

「俺は昔から、エサを外国から買っている限り、日本の畜産業は、経営学の教科書に書いてあるコストダウンは当てはまらないから、やらんほうが良いって言ってるんだ」

「俺んちも、肥育用の肉牛を4から5頭飼っているけど、エサは稲わらか乾燥した牧草だから、円安の影響はほとんどない。年に1,2頭売れば小遣いには少しはなっているからな。でも、毎朝の畜舎の掃除やエサやりは大変だけどな」

「Sは、掃除、エサやりを毎日やってるのか?今日も結構飲んでるけど、明日の朝もか、大変だな」

「んだ、もう、身体が慣れてきてるから、出勤前にチョコとやるんだ」

 

<この話を聞いていたら、千葉のMの話を思い出した。Mは、2015年ころの円安の影響をまともに受けて、すべての肉牛を売却し、大規模肉用牛肥育経営から撤退したのだ>

この原稿を書いている現在も円安は進行している。

資料:岐阜新聞Web

先日、1$135円を超えたという報道があった。おまけに、ロシアのウクライナ侵攻で小麦、とうもろこし、大豆の価格も上がっている。畜産農家にとってはダブルパンチだ。

 

<この状況の中で、牛を売却せざるを得ない畜産農家は、我が国には確実に存在している>

―何かが起こると、いつも、冷や飯を食わされるのは、一般的な庶民なのだ。この構造は永久に変わらないのだろうか?―

―庶民がソコソコ暮らしていける世界はどこにあるのだろうか?ー

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

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