コメのお師匠

コメのお師匠

コメのお師匠

山形県川西町に「コメの師匠」がいる。農家でもない僕が「コメの師匠」と呼ぶのは少し変かもしれないが、この師匠のおかげで僕は農業の生業(なりわい)を教えてもらった。川西町に行くと師匠を含め4人の仲間が米坂線羽前小松駅前にある『新喜楽』に集まり一杯やることが恒例となっている。

<この仲間の長老のM右衛門さんが師匠なのだ>

M右衛門師匠は5haの田んぼでコメを作っているが、ある時、国のコメ政策について話したことがあった。
(会話は山形弁で意味不明なところがあったが、仲間の協力を得て標準語に直してある)

「国は、農協や農地法を見直し、何とか農地を法人に集めたいと考えているようだが、おそらくそれは難しい。平場の地力が良い田んぼは地域内の担い手が借りることになる。機構に貸しだされる農地は、借り手がつかない条件が悪い土地が多くなる。これはコメを作っている百姓の常識さ。大体、百姓は国のため、人のためになんて考える人種じゃないよ。耕作をやめて補助金がもらえるなら、捨てつくりの農地を機構に貸出し、補助金をもらうってことになるのさ。百姓だってバカじゃないよ。よい田んぼ、作り易い田んぼは自分でわかっているんだ。だから、よい田んぼには無理してでも自分がコメを植える、人に貸しだす田んぼなんて、ろくでもない田んぼさ。大体、田んぼと一口に言っても、同じ肥料を同じ量撒いたって、田んぼが違えば、いや、風向きや取水口が違えば、収量や食味が違うのがあたり前さ。女と同じさ」
と師匠はかなり酔っぱらいながら言った。

これを聞いていた仲間たちは、
「M右衛門さんは、女にそんなに詳しかったか?」
と笑いながらからかった。
「そりゃお前ら・・・・たとえ話だ、たとえ」
師匠は赤い顔で答えていた。

コメ農家のKは、
「コメ作りが女と同じか俺は知らんが、俺は田んぼを借りて30haの農業をやっている。まあ、お上の推奨する規模拡大をやっているが、俺は、子供を大学に行かせるために頑張って田んぼを広げたんだ。本当はM右衛門さんと同じような規模でやりたいんだよ。だって、耕起、代掻き、田植え、特に刈取りの時は、お日様が出る前から沈んで暗くなるまで働き詰めだ。こんなコメ作りはゴメンだよ。来年、息子が大学を卒業するから、少しずつ面積を減らすつもりだ」
と言った。

「俺はコメのことしか知らんけんど、無理してコメ作りをしたことはなかったな。俺は、飯をくうために、家族を養うためにコメを作ってきた。俺は特別すばらしいことをやってきた訳ではない。俺は自分の出来ることをやってきただけだ。周りの人間の事なぞ関係がない。お前ら若い奴らは、周りの人間の評判ばかり気にしているから、品のない人間に成り下がるだけだ。俺が育てるコメだって同じだ、育てた俺が品のない人間なら、育ったコメにも品がないんだ。つまりな、人間なんてやつは、自分が世の中で認められれば、成功した人生ってことらしいが、俺にはそんな考えはない。そんな世の中の評価なんて興味ない。一番重要なことは、俺は農民でしかありえないってことを受け入れることなんだ」
と師匠は言った。

<いつだったか、このメンバーと冬のワカサギ釣りを桧原湖でやったことがあった>

その時は、確か、米沢から2号線で白布温泉を超え桧原湖の民宿で一泊した。この冬のワカサギ釣りは、師匠やKたち農家仲間の冬の恒例行事だそうだ。

<この時は民宿での夜の宴会で飲みすぎたせいか、神罰があたり、翌日のワカサギ釣りの釣果は散々だった>

簡易テント中で湖に穴をあけ、小さなワカサギ釣りの竿を上げ下げするのだが、あたりがなく、テントの中は太陽の光で暖かく、少し酒が残っていた僕は気持ちよくうたた寝をしてしまった。

<結局、師匠が数匹、Kが大物を1匹釣り上げただけで僕はボウズだった>

「今回は釣れないな、ワカサギも生き物だ。まあ、自然相手なもんでしょうがないか」
と、師匠は達観した様子、そういえば、一緒に釣りに参加したKも農家のYもあっさりしたものだった。

僕は思ったものだ。全員、自然相手の農業、コメ作りをしているので、
―人は自然には逆らえないー
ってことを、彼らは長い経験で知っているのだ。

ある時、一緒に、軽トラに乗って農道を移動していたら、
「稲田さん、田んぼから水が抜ける6月の早朝、『ヤゴ』がいっせいに羽化する風景を一度は見といたほうがいいよ。朝日に反射しキラキラに光り輝く羽は、極楽浄土そのものだよ」
と、師匠は言った。

毎年、行っていた川西町行きは、ここ数年、コロナで行けていない。
今年こそは、久しぶりに、お師匠さんたちと一献やりたいものだ。

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

 

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